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2019年7月 5日 (金)

八ヶ岳の高山植物・・何のために花は咲くのか。

標高二千~三千メートルを越える山々では、これからの季節は、まるで天国のように、黄色や紫や白、青・・と、高山植物が咲き乱れます。急な登りであえいでいるときに、ふと足元に咲く花を見ると、どこか勇気付けられますね。とても小さな花であれども、その存在はとても大きく見えます。今日は先日撮ってきました八ヶ岳の高山植物のお花をご覧になりながらお話です。

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標高約2600m付近、文三郎道上部に咲く「キバナシャクナゲ」です。
厳しい状況の山岳地で、ちょっとの岩の隙間にでも生命を維持し、冬の雪の下に埋もれても雪解けと共に、ふたたび、芽を出して花を咲かせる。けして途絶えることはない。とらえ方によっては、私たちに何かを教えてくれているような気さえします。

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阿弥陀岳-中岳道の分岐の上、標高約2700m付近に咲く「ミヤマキンバイ」です。白馬岳連山にもあります。
巷では「何のために・・」という思考があるのですが、それは崇高な「徳」とかけ離れているのではなかろうか。自動車でいうなれば、「何のためにハンドルがある?」。方向を変えるためとか、機械ならそれでいいが、「何のために花は咲いている?」とは、ちょっと違うような気がします。

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赤岳本体に登る鎖場に差し掛かる前の砂礫地に咲く「ハクサンイチゲ」です。
「何のために、人は生きる?」とか、「何のために、山に登る?」などという問いかけというのは意味を持たない。それが近年「何のために人は生きる」などいう本まで出版されているが、なんだか違うような気がする。人はモノではない。

 

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標高約2800mを越えたところの赤岳本体に登る岩場に咲く「イワウメ」です。「徳」の次元から見れば「何のために花は咲く?」とか「何のために人は生きる?」という問いかけは意味がないし、量子的にみる哲学からみれば幼稚に感じる。
しかし、情報社会の時世にあって、その違いもわからぬまま、もっともらしい言葉が氾濫している。霊が強いとか弱いとか・・「霊」とはなんぞよ。わかっているようでわからぬまま使っている言葉の多いことよ。

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標高2800mの稜線、赤岳山頂から赤岳展望荘に下がってきたところに咲く「オヤマノエンドウ」です。これからお盆の時期、
故人の供養、御先祖様の供養、水子様の供養。供養のやり方をネットで検索して、何でもわかっていると傲慢な錯覚に陥るより、伝統と心を重んじて、御聖徳様を尊び偲ぶ心、大切ですぞ。

尊無上亜甲中玄    玄上

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雄大な大宇宙、それにつながる日本アルプスそのものが、まさしく至心玄道、私の「お山」なのです。  

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